労畜の楽書き帳

労畜(https://twitter.com/rebreb01541)の雑記です。

今やただ死に行くだけになりつつある巨額の復興費が投入された町に思いを馳せる

石川県・能登地方を震源とする震災により、人工地震のデマが話題になった後、被災地及び避難所で女性の性犯罪が増えるといった人工地震と大差ない根拠のない話がSNSを飛び交っている。

知能を持った人間ならわざわざ言わなくても分かっていると思うが、犯罪統計上、被災地及び避難所において性犯罪が増えた事実は認められない。「平成23年の犯罪情勢」において、以下のように説明が付されている。

被災3県においては、発災直後、武装した犯罪グループによる略奪、性犯罪の多発等といった流言飛語が流布したが、特定の手口の窃盗を除き、いずれの罪種も前年同期に比べて減少している。強姦、強制わいせつについても、いずれも前年同期に比べて認知件数が減少し、震災に関連して発生したと思われる性的犯罪は数件にとどまっており、被災3県合計の検挙件数、検挙人員は、前年同期に比べそれぞれ減少しているが、検挙率は上昇している 出典:平成23年の犯罪情勢

検挙率が上昇したとあるが、7人中7人が検挙され100%になったという話であって、性犯罪が多発しなどという妄想の実現を証明しているものではない。はっきり言って「被災地で性犯罪が多発した」という話は、「福島で作られた食品は放射能に汚染されているから食べると被爆する」などという悪質なデマとそう差のないデマである。

なお、本報告は後に数字が修正されているが、こちらを見て貰えると分かる通り、性犯罪については全国で100件に満たない数が増えた程度である。これを以て被災地及び避難所で性犯罪が増えたなどという妄言を立証するのは厳しいと思われる。悪質なデマを拡散した稚拙な人々は、いくらか反省して欲しい。風評加害どころの話でない。

ただ死に行く町と化している大船渡市と復興費の行き着いた先に思いを馳せる

前置きはここまでにするとして、今回は東日本大震災の被災地であり、他の被災地同様に数千億円規模の支援を受けた岩手県の辺境にある大船渡市の年末年始の話をしようと思う。ちなみに大船渡市は、最近アニメ「オーバーテイク!」にて舞台協力をし、ちょっと無理矢理な感じのある観光シーンで様々な地域が描かれている。

amzn.to

東日本大震災の被災地というと、福島を除けば、岩手県陸前高田市宮城県南三陸町辺りが有名である。復興特需と言われる復興費の過剰投与が鳴りを潜めて尚、東日本大震災の被災地として地名が浮かぶのは、およそこの辺りでなかろうか。大船渡市と言われてパッと思いつく人は中々いないと思われる。

大船渡市は、その陸前高田市の北側に隣接する自治体である。陸前高田市の人口が1万人少しに対して、大船渡市が3万人程度と3倍近い。東日本大震災以前から、大船渡市と陸前高田市、そして両市に隣接する気仙郡住田町は、気仙地域と呼ばれ一括りにされており、常に合併の話が持ち上がっていた。

人口規模、そして経済規模から、合併においては大船渡市がイニシアティヴを握る形になると見られており、東日本大震災以前はそう認識している人々が多かった。しかしながら、昨今の情勢を見るに、イニシアティヴを握れるかは怪しくなってきているように感じられる。

岩手県の辺境のことなど知らない人々の方が多いと思われるから説明を加えると、東日本大震災以前は、陸前高田市は通り過ぎる町で知られていた。実際問題として、三陸自動車道を通って陸前高田市に下りるケースは少なく、通過点扱いされるのは何ら不思議な話でなかった。ところが東日本大震災以降は、大船渡市が通り過ぎる町となっている。

理由は多々あるが、東日本大震災において甚大な被害を受け、ある種東日本大震災の被災地として象徴的な存在となった陸前高田市には、国営の追悼・祈念施設ができている。また、数々の企業が陸前高田市に何らかの形で関わり、ワタミスノーピーク共立メンテナンス(ドーミーイン)が事業所を設けている。若い移住者が多いのも特徴的である。

rotic.hatenablog.com

若い移住者については気仙沼市も多く、陸前高田市気仙沼市の両市は、若い移住者の活躍を支援することに積極的な点で似ている。昨今、両市に企業進出が度々発生しているが、無関係な話ではないように感じられる。

rotic.hatenablog.com

 

一方の大船渡市と言えば、ルートイン・モンテローザ東日本大震災後間もなく進出して以降、ドラッグストアが増える程度で、そうした大型の進出話はない。逆に大船渡市から出て行く企業の話は少なくなく、存在感が年を追うごとに薄れて行っている。

他の自治体同様に中心市街地を多額の復興費を用いて復旧させたが、完成したのはいつも閑散としているこぢんまりとした建物群とスーパー・ホームセンター・ドラッグストアの集積地である。

誰の目から見てもエリアマネジメントに大失敗しているのだが、関係者は失敗を認められずに自己擁護に努めている始末で、中々に厳しい。言い訳には一定の合理性がありはするが、とはいえ結果が出ていないのは明白であり、苦しいと言わざるを得ないのが実情である。

そんな中心市街地は、新型コロナ明け初の年末年始と言われたこの度の年末年始でも閑散としていた。「今年の年末年始も新型コロナウイルスの影響により自粛を求められていたのだったか?」と心から感じられるほど、人出がない。

尤も、1月3日、4日にして開いていない店も少なくないため、そもそも人が来る見込み自体が立てられなかったのだと思う。飲食店どころかホテルさえ休業していた。年末年始は帰省シーズンであり、田舎にとっては数少ない稼ぎ時の筈である。

しかし現実は、真っ暗な歓楽街(と言って良いのかさえ怪しい)が広がっており、誰が見るでもないイルミネーションを光らせているだけなのである。帰省した人々がわざわざ家以外に飲みに行くか? 飲みに行ける足を持っているか? を考えたとき、答えはNoに近いため、ある種必然的な状況なのかもしれない。

とはいえ東日本大震災直後のように闇に包まれた中心市街地からは、復興の二文字など全く感じられない。そこにあるのは最早死に行くだけの町である。町を取り戻せていない東日本大震災後の1-2年の方が遥かに活況であったのだから、皮肉と言わざるを得ない。

仮に復興費が地域への投資だったとするならば、大きなマイナスを抱えるだけになった投資と言え、国に説明責任を求められたに違いないが、復興費はあくまで復旧のための費用であり、投資ではない。

インフレと低所得に喘ぐ日本国民の多くが未だに復興特別所得税を払い続けているが、その金が行き着く先がただ死に行くだけの町なのだから、全く笑えず、胸が痛むばかりである。とはいえ、こうなることは前々から分かり切っていた。予見可能だった未来が訪れているに過ぎない。

最近立ち寄ったあるバーの店主は、「今月で店を閉じる。店を開けても赤字を生むことにしかならない」と乾いた声で話していた。この1週間で複数の飲み屋に顔を出してみたが、どこも来客は0人-数人程度である。車社会で飲み屋に行くのが難しい環境ではあるにしても、余りにも人が居ない。営業しているのが不思議な状況である。

未曾有の大震災に対して拠出された未曾有の復興費が生み出したものが、ただ死に行く町とただ死に行く町で作り出された人が訪れない施設群である。被災地復興とは一体全体何だったのだろうか。


震災復興10年の総点検: 「創造的復興」に向けて (岩波ブックレット NO. 1041)

 


東日本大震災 復興の教訓・ノウハウ集

 


総合検証 東日本大震災からの復興