労畜の楽書き帳

労畜(https://twitter.com/rebreb01541)の雑記です。

能力不足の上司たちの顛末と新キャラ能力不足の役員、そしてひたすら疲れる日々の話

今週のお題「元気を出す方法」

 

仕事に忙殺されている。といっても時間外労働をする程には労働時間を積んでいないので、心殺されていると書く方が正確である。毎日ただただ疲れる。どうしてこんなにも疲れるのか分からないが、日増しに疲労感が募っていく。寝ても寝ても疲れが取れず、病気を疑いたくなる。そもそも障害者であり、障害の程度が悪化しているわけだが、疲労感がそれによってもたらされているのか定かでない。逆はあり得ると思うのだけど。

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能力不足の上司から解放されたのは良いにしても、結局の所、能力不足の上司を野放しにしている会社には所属し続けているわけで、そんな組織で働くことによる疲労感からは解放されていない。ワークライフバランスが取れることくらいしか取り柄のない会社にもかかわらず、ワークでライフのバランスが崩れるとはこれ如何にといった感がある。

 

退職意向を伝えたときに引き留められても退職を留まってはいけない。世の中ではそう言われており、自分自身そう言っているわけだが、実際問題として退職を留まって数ヶ月が経ち感じるのは、やはり留まる選択をしない方が好ましいのだろうということである。

 

障害者雇用故に非正規であったが、オファーをくれた外資に行くべきだったのだと思わざるを得ない。今更言ったところで詮無いことではあるけれど。手前味噌ではあるが、これだけ好い人々が揃っていて、働き方も個々の自由に委ねられている働き易い会社であるにもかかわらず、日々疲労感を募らせ、転職した方が良かったと後悔するのだから、世の中分からないものである。人はこれを贅沢と呼ぶのだろう。

 

だが、何が不満というわけでなく、転職した方が良かったと感じるのだから、上手く言語化できていないだけで、やはりそう思わせるだけの何かがあるのでないかと思わずにいられない。単純に自分の嗜好に合っていないだけな気がしないでもないけれど、仮にそうだったとしても、そこに明確な要素、理由がある筈である。言語化できないだけで。尤も、そんなことを彼是考える時間など持ち合わせていないのだけれども。

 

まあ、さりとて自分だけがそんな想いに駆られているわけでなく、事業部門で最上位に近いロールであった、事業部門で希有な能力を持っていた人物が競合他社へと去って行ったり、実質的に事業一つを統括し、売上が直接紐付いていた人物が競合他社に容易く引き抜かれてしまうのだから、やはり人が辞めていく素地があるのだと思う。

 

マネジメントラインやそこに近い位置の人間が去って行くのは今に始まったことでないし、マネジメントラインで中途採用された人間はまるでワークしない会社なのである。マネジメントラインならまだしも役員ラインで中途採用された人間すらワークしないのは辟易とするのだけど。役会は一体全体何をしているのだろうか。

 

さておき、自分自身、マネジメントラインではない一方で、ほぼほぼ部長直下で仕事し、本来そこで留まる情報を少なからず与えられ、それを以て部長の代わりに手を動かさざるを得ない状況にあるのだから、他のそうした人々の例に漏れず退職を考えるのは自然な話なのかもしれない。まあ、自分の場合は、個人事業専従に戻りたくなっているのが一番大きいわけだけど。

 

ところで、その後能力不足の上司2名はどうなったかというと、1名は降格、1名は未だに悠々自適に仕事をしているわけである。部門には新たに加わった役員が統括者として入ったらしいが、他部署の部長ラインからの評価は芳しくないというか、存在が必要とされていない。彼が幾ら貰っているか知っているだけに、経費削減を掲げる環境において、非常に厄介なコストを抱えている気分になっている人々は少なくないのだろうと推察する。というかそんな話を聞かされた。

 

そんな新参役員が入社してやったことと言えば、グローバルで名の知れたコンサルファーム頼みでの社内制度改定なのだから、彼の評価は下がるばかりである。経歴だけ優れていて無能な上司が増える部署で仕事するなんて時間の無駄以外の何物でもないだけに、前部署を去って良かったと心底思っている。退職していたら尚良かった可能性が高い。

 

おまけに前部署は、昨年後半は何ら成果を出せず、ただただミーティングを繰り返しているだけであった。社内の他部署から見れば部署そのものが粗大ゴミと化しているわけだが、当の本人達は職務を果たしている気になっており、職務評価をしっかりとつけて昇給するつもりなのだから、会社の数字を管理している人々にとって厄介な存在と化す一方である。実際問題、当該部署が消えて誰か困るのかというと、誰も困らないのが実情である。

 

経費削減をやたら叫ぶ状況にあって、明らかに無駄なコストそのものとなっている当該部署を放置すればするほど会社の状況は悪化する可能性があり、まさに癌そのものだが、改善するどころか、社内でのプレゼンスを高めようとする動きを放置するに至っている。優しい人間が多い組織は、こうして成長を止め、死んでいくのだろうと思わせる光景である。上場できたとして、成長を続けられるのだろうか。

 

とまあ、何だか直接の仕事以外の面で疲労感を募らせる要素が其処彼処にある状況である。尚、彼等がろくな仕事をしないせいで、異動した自分がちょこちょこ恨み節と言わないまでも愚痴られるので堪ったものでない。去年前半、一昨年後半の成果は主に自分一人の成果だったと前部署が認めたらしいが、そんな話が出たら余計に愚痴られるのでやめて欲しい。いい加減仕事しろよと思わずにいられない。

 

前置きが非常に長くなった。

 

今回の記事もお題を設定している。お題は元気の出し方である。日に日に元気が消えて行っているので寧ろ教えて欲しいくらいだけれども、だったらお題に設定するなという話でしかないので、何か捻り出したいと思う。

 

疲れている疲れていると書いたもののここ3ヶ月程度は、プライベートの過ごし方を少しずつ変えようとしている。といっても、自分は仕事しかない人間で、仕事が絡まないと今一身動きを取れない人間なので、半ば無理矢理に仕事を絡ませながら過ごし方を変えている。

 

具体的な話として、これまで時間を取っていなかったというか避けていた地域のイベントに参加したり、地域の人々との関わりを増やしたりしている。車社会なので気軽に飲み会等に参加できないのが難点だが、居酒屋やスナック、バー等に足を運び、地元の人々の話を聴く機会を増やしもした。

 

まあ、スナックについては数回足を運んだところで、金を払う意義を見出せずに行かなくなったけれど。AIに食われそうな業態だなあと思ってしまった。AIが当たり前になると、寧ろスナックのような店の価値が上がるのでないかと思う向きもあるのかもしれないが、個人的には取って代わられやすそうな印象の方を強く受けている。

 

一方で、地元の人間事情みたいな情報を得る場所としては、そこそこ価値はあるように感じもした。とはいえ、死に行くだけの町の人間事情を知る時間に一体全体どれだけの価値があるのかと思わずにはいられない。

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もしも価値を持つとしたら、死に行くだけの町にとどめを刺すためくらいでなかろうか。また、人間事情を知るという観点においては、今は彼方此方で行政が多少噛んでいるイベントが行われており、それこそ地元の名士と呼ばれるような人々も参加しているケースは多いので、そちらで十分に感じる。

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お題の話に戻ると、元気の出し方として最近悪くないと思っているのは、「多種多様な人々の話を聴く」だろうか。それこそ上記の記事に通じるが、最近は移住者や地域のイベントで出会った人々と交流し、多種多様な話を聴くようにしている。

 

若い人々との話を聴く機会も増えた。やはりバックグラウンドの全く異なる人々の話を聴くと新鮮さが感じられ、日々会社のどうしようもない話ばかりを聴いている自分にとっては、貴重な機会となっている。

 

また、移住者を通じて、自分が全く知らない土地の話を聴くのは、出不精で旅行など全くしない自分にとってはありがたく、未知に触れる機会となり、心がほんの少しだけ踊る。SNSを通じても同様の話に触れる経験はできるが、生の人間の生の声によって聴くのは、何となく違った趣があるように感じている。

 

それほど頻繁にある機会でもないが、少なくとも今年一年は出歩き、多種多様な人々の声に耳を傾けたいと思う。自分の年齢的に無理にでも他者の価値観に触れないと、視野も価値観も狭まっていくだけになると感じているため、それを避けるためでもある。


仕事は楽しいかね? (きこ書房)

 


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