労畜の楽書き帳

労畜(https://twitter.com/rebreb01541)の雑記です。

棒と穴から始める2024年の過ごし方と2023年の振り返り

気が付けば2023年が終わってしまっていた。時の流れが頗る速くて驚くばかりである。老化の成せる業かもしれないけれど、一年があっという間に終わってしまう。しかも2023年に起きた事、体験した事の多くを思い出せない。プチ浦島太郎状態である。こうして自分は着々と老い衰え朽ち果てていくのだろう。人生とは儚いものであり、夢のように曖昧で模糊としていて、朧とも襤褸ともつかぬほどに霞み、破れ継ぎ接ぎだらけになっているものである。

話は変わるが、ふと人は何故美醜について殊更に関心を抱くのだろうかと考えるなどしている。生殖を例として考えてみると、究極的には棒と穴さえあれば生殖は成り立つのであり、容姿の美醜など本質的なものではない。何せ容姿の美醜がどうであろうと、棒が穴に入りさえすれば生殖は果たされるのである。その後、家族として過ごす時間においても、容姿の美醜などどうであろうと大きな影響を及ぼさない。

などと言えば大分極端な話であり、此奴は新年早々に何を意味不明な話をしているのかと思われるに違いない。下手をしたら大地震の発生の都度、やれ地震兵器だの人工地震だのと叫べる脳に何らかの障害を来している可能性を危ぶまれる人々よりも脳に問題がある可能性を疑われるかもしれない。

だが、一度冷静に考えてみて欲しい。ある種、容姿が最も大きな影響を及ぼすであろう人間の営みとは生殖行為である。にもかかわらず、その生殖行為において、容姿などというものは、精々気付け薬になるかならない程度の些末な要素でしかない。何せ穴に棒を入れさえすれば生殖行為は完了するのである。

いやいやその穴に入れる棒を穴に入れられるようにするために容姿が重要なのではないかと反論があるかもしれないが、それでは目隠しプレイは何故成り立つのかと反駁したい。目隠しプレイの存在が、容姿の美醜の価値を限りなくゼロにしてしまっているのである。あれなどは、妄想や過敏になった感覚により興奮状態を強化し、穴と棒が最高のマリアージュを果たす快感を楽しむ行為であろう。

目隠しプレイが成立する以上、穴と棒が交わる行為において容姿の美醜を些事と切り捨てるのは可能でなかろうか。まあ、自分で言っておいて言うのも何だが、精々可も不可も無く程度かもしれない。そもそも目隠しプレイを楽しめる人間は相当な好き者である可能性が高く、マジョリティではないだろう。

さりとて、「暗くして」なんて一言が多くの生殖行為において交わされている以上、目隠しに近いプレイは市民権を得られていると考えられ、やはり容姿の美醜の重要性はそこまで大きくないのでなかろうかと思わなくもない。世の中に生殖行為に容姿の美醜がもたらす影響について調べた論文があるかは定かでないが、論点として気になるものである。


美しさと魅力の心理

話を戻すが、2023年も遂に終わりである。新型コロナウイルスの熱に浮かされた2021年、2022年を経て、その出口となった一年だったように思う。クソ田舎に住み、彼此十年近くの月日を在宅業務と共に過ごしている身としては、然程大きな影響を受けたように感じていなかったが、それでも外出時の周囲の変化を感じる機会は少なくなかったと言えれば良いのだろうけれど、実際問題として観光も死んでいるクソ田舎にあっては大きな変化を見られたような感触はなかった。

観光促進の旗印を元に自称議論を交わしている自治体がこの有り様で良いのだろうかと思わなくないけれど、失敗に失敗を重ねるばかりで何ら成長の見られないイツメンで公正されている寄り合いの議論が相変わらず続いているので、今後も国の金を浪費し続けながら失敗に失敗を重ね続けるのだろう。尚、近隣自治体は一定の成果を出しているように見られるため、クソ田舎が冴えないだけである。国の事業はナンセンスにせよ、国のせいで失敗しているわけではない。

自身の2023年を思い返すと、まあ、仕事ばかりしていた印象が強い。逆に仕事以外に何か出来たのだろうかと記憶を辿ったところで、これといったものが思い浮かばない。それだけ仕事に時間を割いて何か成せたかと言えば、そういったものは特になく、ただただ時間を溶かしただけといった気持ちになる。

 

rotic.hatenablog.com

強いて言えば、能力不足の上司の下を離れる事に成功した件が、あくまで自身の中において成した事だろうか。社内外を問わず、異常と言われていた状態に陥っていたので、本件は自分としては好ましい話だった。尚、能力不足の上司は未だに能力不足なまま職位を維持しているらしいので、弊便チャーは本当に優しいと感じる。

一方で新たに能力不足の上司の上司になった者は手を焼いているらしいので、さっさと降格させたら良かろうにと思わなくもない。まあ、単なるメンバークラスの人材としても使い物にならないわけだが。今年入社した新卒の方が使えるのだから感心せざるを得ない。

読者の中には能力不足の上司を育成する環境はないのか疑問に感じるかもしれないが、ないのである。おまけに能力不足の上司の最上位には能力不足の役員がいるので、本当にどうしようもない。こんなに無能な役員擁する管理部門を放置しているのは何事か、とでも出資者や監査法人、証券会社に言って欲しいものである。

それにしても、新たに雇った管理部門における管理職・エグゼクティブの大半がまるでワークせず、いたずらに高額な人件費を垂れ流し続けているわけだが、これ程までに上位層の採用に失敗し続けるのも驚愕である。自分が関与した採用についての成否は厳しく見ても成功:失敗=6:4くらいで、実際にそう評価されているが、管理部門における採用の成否は甘く見ても成功:失敗=2:8である。

日本全国探しても、これ程までに管理部門における管理職・エグゼクティブ採用に失敗している新興グロース企業も珍しいのでなかろうか。潰れていないのが不思議な程であるが、自分が関与していた部門を除けばメンバークラスが比較的優れているので何とかなっているのだろう。

完全に他人事のように眺めているけれど、拙い管理職・エグゼクティブの影響を少なからず受けるわけだから、割と堪ったものではない。やはり条件に目を瞑ってでも外資に転職しておくべきだったか、などと思わずにいられない。2024年については、謎の2階級特進を押し付けられた上に大量の仕事を押し付けられている。

死亡フラグにしか思えないので、どうにか押し付けられた仕事を別の所に押し付けられないか交渉したい。それか、やはり個人事業専業に戻るかである。哀しいかな、再立ち上げに時間を要するのは致し方ないにせよ、自分で稼ぐ方が所得は上がるだろうと予想される。自分は一体全体何故便チャーに席を置き続けているのだろうか。2024年も問い続ける一年になる気がしてならない。