2022年が終わり、2023年を迎えた。
一つの節目ということで、久々にブログと言おうかポエムのようなものを書こうと思う。
最近、某金融クラスタのTwitterスペースで、2022年は一度しかブログを更新しなかったなんて話を聴いたわけだけど、自分に至っては気付けば一度として更新せずに2022年を終えてしまった。
言い訳をさせてもらうのであれば、忙しかったのである。
2022年よりとあるベンチャー企業で仕事を始め、あれよあれよと残業が増え、気付けば土日祝日の体調管理もままならなくなり、とてもではないがブログの更新なんてできる状態でなかったのだ。
自分としては未だに自営業が主たる仕事と考えているのだけれども、さりとて体調管理もままならない中でそこにリソースを割くのは難しく、何とか継続こそできているものの、昨今はあまり時間を割けていないのが実情である。
さすがにこのままではいけないと思い、この年末年始は立て直しを図るための準備をし、2023年はしっかりとリソースを割ける体制を築いていく意向ではある。
ベンチャーの方の仕事といえば、あまりに不毛なことに心身をすり減らすだけの状態になっており、挙げ句そんなことに日に12時間以上の時間を費やしてしまっている(この会社は本当に上場できるのだろうか)。
果たしてこのまま継続すべきかどうか悩まずにはいられない。正直なところ明日辞めても良いとさえ思っている。
冷静に考えて自営業の方が労働負担を減らして稼ぎを増やせる公算が高く、何故ベンチャーの方の仕事を行っているのか分からなくなっている。
きっと何らかの価値があると思わなくもないのだが、それが何なのかとんと思い浮かばないのが本音である。
自分はきっと疲れ切ってしまったのだろう。最近はふとそう思う。
閑話休題。
年頭挨拶から愚痴を並べても仕方ないので、もう少し別の話題を綴ろうと思う。
2023年、寝起きにぼんやりと考えたのは、「ある時期にある年代だったからこそ、あるいはある時期にある場所にいたからこそ感じられるものがきっとあるのだろう」ということである。
たとえば、nobodyknows+のTHE FIRST TAKEを見たとき、恐らくそれぞれの視聴者の年代で思い出す情景が大きく異なると思う。
当たり前の話である。
2004年に世を席巻した、もう発売から20年近く経過した曲だ。
視聴者の年代によって18年前の自身を取り巻く環境は全く異なるだろう。
だからこそ、脳裏をよぎる懐かしい光景は、全く違って当然である。
何が言いたいか。
この曲が世の中を席巻した時代、同じ時期を生きていた人間でも、その時どの世代だったかで感じ方はそれぞれ大きく異なっていただろうし、その時感じたこと、そして今この曲を通じて思い起こされるその頃の情景は、世代によって大きく異なるだろうという話だ。
その頃小学生だった人々は、何だかよく分からないおっさん達が騒いでいる曲がテレビを賑わせていたくらいに感じるかもしれないし、そもそもその頃は全く耳にすることがなく、今初めて知って「昔に良い曲があったのだなあ」と思うかもしれない。
あるいは当時高校生だった人々は、友人とカラオケで盛り上がるために練習した記憶が呼び起こされ、当時の自分を思い出してクスリと笑うかもしれない。
はたまた当時社会人だった人々は、同僚や上司との飲み会後の二次会で馬鹿騒ぎをした記憶が思い浮かび「あれから随分と年を取ってしまったなあ」と思うかもしれない。
それぞれの想いは、多くの場合その当時ある年代だったからこそ感じられたもので、別の世代だったらまた少し違った想いを抱いたはずである。
そしてそれは、年代のみならず、どこに居たかでも変わることがあるのだろう。
そんな毒にも薬にもならないことをぼんやりと考えたのである。
ここまでのよく分からん話をどう締める? と思われるかもしれないが「すずめの戸締まり」で締める。
前述したよく分からん話を考えていた直後、友人から「すずめの戸締まり」を見ないか誘われ、見に行くことにした。
何の前情報も持っていなかったので、友人に何故突然この提案をしたのか尋ね「つい最近聖地巡礼をしたから」と言われてもよく分かっていない状態だった。
画像出典:
屋根に乗り上げた大型船 建物は今もそのまま 大槌町【東日本大震災10年 パノラマ】Vol.604 - 360°パノラマ写真 - 産経フォト
映画冒頭で、上記写真が元になっただろう映像を見ても、「気仙沼っぽいな」と思うくらい、本当に事前情報を何ら持たずに見ていたくらいである。
画像出典:
asahi.com(朝日新聞社):大型漁船、津波に乗って街を破壊 気仙沼、懸念が現実に - 東日本大震災
今にして思えば、気仙沼市の場合は、船が大型だったことから屋根の上に乗った状態で残ることはおよそ有り得なかったので、話題になったもので言えば大槌町のものが妥当だった(実際には他の地域においても同様の景色は散見された)。
結局の所、「すずめの戸締まり」のコンセプトに「東日本大震災」があったことに気付いたのは、終盤である。
大谷海岸の道の駅のあたりで、ようやく察した。地震にまつわるシーンの多さから何らかの災害がテーマあるいはコンセプトの何かなのだろうと思いはしつつも東日本大震災に結びつかなかったのだから、それくらい自分は鈍化していたのだと思う。
余談だが、大谷海岸の道の駅一帯は、非常に素晴らしい景観である。
「すずめの戸締まり」では、自動車で北上して辿り着いたと思われるが、個人的には気仙沼市から海沿いを南下していく際に、一気に景色が開け、広い空と海が視界に広がる様に感動を覚えた。
もしも聖地巡礼のようなものを行うのであれば、ぜひ一度試して欲しい。
さてそんなこんなで何らよく知らないままに「すずめの戸締まり」を視聴したわけだが、視聴し終えて真っ先に思ったのが、朝ぼんやりと考えた「ある時期にある年代だったからこそ、あるいはある時期にある場所にいたからこそ感じられるものがきっとあるのだろう」である。
つまるところ、東日本大震災当時それなりに分別のつけられる年代で、そこで生活していた自分にとって、とりわけ「すずめの戸締まり」の終盤の映像には想う所があったのである。
そしてそれは、当時そういう年代で、そこに居たからこそ感じられたものなのだろうと思った、そういうわけである。
今更ネタバレも何もないと思うが、一応ネタバレを防ぐことを意識しながら書くと、たとえば最後の方に見られる火の手の上がる大地の映像がある。
また劇中で描かれているのは、主に気仙沼市・大槌町・山田町の三自治体となっている。
現地の人間以外にはあまり知られていない可能性があるが、この三自治体はいずれも震災で燃えた地域である。
津波に襲われた地域が何故燃えた? と思うかもしれない。
海に沈んだ一帯に漏れ出した重油に火が引火して一帯が燃え上がったと言われている。
当時、そこで海に沈んだ街を見下ろしていた人々に言わせれば、地獄のような景色だったそうだ。
そうした話を踏まえて作られたのが、本作なのだろう。
また、恐らく重要なシーンであり要素であったと思われる鈴芽のシーンだが、大切な人を探す子どもの話には枚挙に暇がなかった。
私は当時の仕事柄、相当な数の被災者の方々の話を聴く機会があったわけだけれど、同様の話は何度も何度も話され、また悲痛に染まった想いをぶつけられている。
そうした人々の中には、「行ってきます」と踏ん切りをつけられた人々も居れば、そうでない人々も居る。
当時それなりに分別のつく年代でその場所に居た自分にとって、だからこそ想う所があった。
同時に、恐らくそうでない人々にとっては全く異なる見え方、感想があり、それは自分にとっては得られないものだとも想った。
だからこそ、「ある時期にある年代だったからこそ、あるいはある時期にある場所にいたからこそ感じられるものがきっとあるのだろう」と朝ぼんやりと考えたことが繋がったのである。
人生色々な巡り合わせがあるものだなどと感傷を得なくもなかったが、まあ、たまたまタイミングが重なったのだろう。
誘われなければ恐らく「すずめの戸締まり」を見ることはなかったと思うの、誘ってくれた友人には感謝している。
色々と余裕がなく、映画館で映画を見るなんてことはそうそうしないのだけれども、たまには映画を見に行くのも良いものだと思い、この毒にも薬にもならないブログと言おうかポエムを締めようと思う。
※気仙沼市の様子