労畜の楽書き帳

労畜(https://twitter.com/rebreb01541)の雑記です。

能力不足の上司の能力不足が許されなくなってきているらしい

今週のお題「習慣にしたいこと・していること」

 

「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」とは彼の有名な文豪・夏目漱石の『こころ』における印象的な心無い言葉の一つだけれども、現実的に立ち返って考えるに、「精神的に向上心のあるだけのものも、馬鹿だ」と思うわけです。

 

向上心なるものは中々どうして厄介なもので、なければ落ちこぼれのようなような扱い方をされる一方で、持っていても言動が伴わなければやはり落ちこぼれのような扱いを受けてしまう、何だか諸刃の剣と言おうか選ばれし者だけが扱える聖剣のようなものに思えなくありません。

rotic.hatenablog.com

本ブログに登場する能力不足の上司(現在は能力不足の元・上司)の一人は当に向上心ばかりを持った言動の伴わない人間で、おまけに自身を客観的に見られないタイプでもあるため、自己評価ばかりが高くなる始末に負えなさを持った人物だったわけです。

 

今回去ることになった、というよりも便チャーに見切りをつけた方の元・上司は、マネジメントラインとしての能力に欠けていただけで、個としては優れた人物であり、また少なくとも有言に対して実行する能力は持っており、マネジメントラインでさえなければ決して能力不足というわけではなかったのです(経歴も錚々たるものであった)。

 

一方で、ミドルマネジメントだった元・上司の方は、マネジメント能力面はもちろんとして、個としても優れた面が乏しく、その業務能力は言ってはアレだが新卒と大差ない、報連相さえできない点に鑑みれば新卒よりも質が悪いといった具合で、言葉を選ばずに言えばどうしようもない人物でした。

 

そんな人物でさえミドルマネジメントに就ける便チャーも中々どうして大丈夫かといった具合であったものの、その元・上司は偶発的にミドルマネジメントになったタイプであったので、問題があったとすれば、ミドルマネジメントとしてマネジメントを一切できず、かと言って個としても何ら評価できる点がなかったにもかかわらずミドルマネジメントに置き続けた点に問題がありました。

 

とはいえ、流石の便チャーも問題に気付いたのか、風の噂でミドルマネジメントの元・上司もどうやら降格の方向で動いているらしく、果たしてその元・上司も退職を選ぶかどうかに注目が集まるわけです。

 

と言っても、便チャーだったから甘く評価されたわけで、便チャー以外であると少なくともジョブを変えなければ今と同程度の給与を貰い続け、かつ昇給ラインに乗せられるかは大分怪しいと言わざるを得ないのが実情です。便チャーであれば、昇給は望めるだけに、悩ましい状況でないかと推測している今日この頃だったりします。

 

そんなマネジメントができないのにミドルマネジメントに置かれ続けた元・上司ですが、能力のない人間が部下を育てられるわけでもなく、彼の下にいた新卒も(元・上司ができないが故に教えられず)報連相や業務設計、他部署連携を上手く行えず、何と私の所属する部署に厄介を持ち込んできたので驚くばかりでした。

 

それも社外のステークホルダーに影響を及ぼす業務で適切な報連相を行わなかったものですから、あわや大惨事になりかけた次第で、何や彼や甘い対応をし続けた私も、元・上司の上司に対して報連相くらいはできないのか、部内で報連相の研修をしてくれないかと苦言を呈するに至ったわけです。彼の降格が決まっただろう少し前の話ですね。

 

それだけでなく、数ヶ月後に行われる彼の部署(つまり昨年まで私の所属していた部署

)主導の企画を突然私の部署に具体案も含めて考えてくれと投げつける始末で、前々から言ってはいましたけど、何をどう考えても、便チャーに必要のない部署だなあと思うなどしているわけです。

 

ちなみに肝心のパフォーマンスは、前年の10分の1近い状況らしく、一体全体数ヶ月にわたり毎日何に時間を使っていたのやらと首を傾げるに至っています。さっさと部署ごとなくしてしまったら良いのにと思っているのは私だけではないでしょう。毎期相当な額を消費している部署だけに、致命的になる前に処分するのが妥当なのですけれど。

 

 

前置きがとんでもなく長くなってしまったわけですが、習慣にしたいこと・習慣にしていることで言うと、前部署を含んで社員の書く日報をなるだけ読むようにしているのと、気になったときにカレンダーの予定を眺めるのを習慣にしています。

 

理由は単純でして、何せ誰もが皆自宅で仕事をしている環境ですから、こうでもしないと会社全体の様子を上手く掴む事ができず、そのまま業務を進めていると不意に突っ込んでくるトラックのように、異世界に転生させられるかのような大事故に巻き込まれかねないので、先々の景色を想定しながら仕事を進められるように習慣化しております。

 

どうもそんな暇な真似をしているのは私くらいなものらしく、奇異の目で見られるわけですけれど、少なくともマネジメントラインはそれくらいした方が良いのでないかとそこはかとない反駁をしたくなるものです。いつだって事件は会議室ではなく現場で起きているのであり、それは一人一人の社員に紐付いているのですから。

 

「いやいや、それは習慣でなく、単なる日々の仕事でしょう」という声が聞こえなくもないので、私個人の習慣で言うと、最近はなるだけ小説を読むようにしています。何せこの十年近く、仕事に感けて小説を読むという行為を怠け、仮に読んでも大学から渡された教材か仕事に絡んだ書籍を読むといった具合でした。

rotic.hatenablog.com

「キドナプキディング」を読んだのが何年ぶりといった中で、そのキドナプキディングを読んでからまたぞろ一年近く小説を読んでいなかったわけです。私の本業は一応ライターなもので、流石にこの状態は拙いだろうと忸怩たる思いを抱いていたところ、部署異動により漸く時間を取りやすくなったもので、読書を再開するに至りました。

 

毎日とはいかないものの週に一冊は読むようになり、この十年失っていた新鮮な刺激を得られるようになり、充実した日々を送るに至らないものの幾らか心に潤いを感じられる瞬間を得られるようになっています。さりとて仕事は虚無的な時間が多く、果たしてこのままで良いのだろうかと煩悶が続いているわけですけれど。

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