労畜の楽書き帳

労畜(https://twitter.com/rebreb01541)の雑記です。

書くという行為の自身の中での位置付け

自分自身をクリエイターと称するのは、正直なところ畏れ多い、それ以前にクリエイターを構成するだろう多くの要素が欠けていて適切でないと感じているのだけど、さりとて商業ライターとして飯を食ってきた以上は、最低限の矜恃と言おうかポリシーめいたものを何かしらは持つべきと考えていて、だからこそクリエイターとして高い次元の仕事を成していくための術、考え方のようなものについて、可能な限り頭を使うようにしている。

 

そうした思考をしていく中で至った考えの一つが上記のツイートなわけだけど、それでは自分自身の制作において痛みや喪失を伴いながら切るような行為をしてきた物があったか記憶を辿ったところで、そうした物に思い至ることはなく、だからこそ自分はクリエイターとしては半可通、以前にそもそもクリエイターたり得ていないのではないかと感じずにいられない。

ここで少し脱線し、はてなで見つけた『お題「邦画でも洋画でもアニメでも、泣けた!というレベルではなく、号泣した映画を教えてください。」』に噛ませて、号泣(と言って良いかは悩ましいが)した作品を挙げるのであれば、やはり「映画大好きポンポさん」が挙げられる。


映画大好きポンポさん

評価や興業収入といったものがどうだったかは分からないし興味ないが、自分の中では過去見たアニメ映画の中で最も胸打たれた作品で、映画のような時間的拘束が比較的キツい映像作品を複数回見るようなことを殆どしない自分が、珍しく複数回見た上で、時間的余裕さえ確保できるなら何度でも見たいと感じた作品だった。


例えば

劇中歌の花譜「例えば」が感嘆する程に良かった面もあるが、最高と思える作品を作る為に身も心も思い出も切り開いていく映像が、ある種創作の真理を描いているように感じられ、またその背景にある主人公の過去積み上げてきた物全てが作品に昇華されていく様が胸に刺さった。それはきっと多くの人々に同様の感想を与えるようなものでなく、自分という人間の内にある何某かの背景があったからこその感情であり感傷であったからこその感動だったのかもしれないが、何にせよ涙を流すには十分な素晴らしい映像だった。

また、理由は異なるし、号泣したわけでないが、「すずめの戸締まり」はあの日被災地に居て、被災した人々の喪失に触れ続けた自分としては、胸に来るものがあった。その辺りについては、以前書いた通りである。

rotic.hatenablog.com

 

閑話休題。本題に戻ろう。と言っても、今回は本題というものを何ら用意していない。街を歩いていて見かけた気になる店に立ち寄るような感覚で、フラッと書き出したものだから、今この行の文章を書いている今も何を書いたものか全く考えが及んでいない。そもそもこのブログ自体が、何を書こうとか何を伝えようとか、そうした明確な目的を持たずに始めたものである。流れのまにまにその日思ったこと、やろうと思った何某かの理由を携えて気儘に書いている。

はてなブログもnoteのように記事を販売できるようになり、noteで書いていた物をこちらに移そうかと思った時もあったが、結果的にそうした動きを取っていない。面倒臭かったというのもあるが、何となく何かが違うと感じたからというのもある。元々こちらで書いていたような内容をnoteに移したのだから、それをこちらに戻すのはある種自然な流れと言えなくもないのだが、そう思って尚、何かが違うと感じるのだから不思議なものである。

過去、ブログを作っては壊し作っては壊しを繰り返してきた。取り立てて何かポリシーのようなものがあるわけでない。寧ろ壊さずに自分の記録として残し続けた方が良かったのでないかと思いもする。それくらい自分にとってのブログ運営とは曖昧で模糊としたとりとめもない存在であり、行為である。一方で、書くという行為は長らく続けてきたように思う。

軽く思い返すだけでも20年少しは何かしら書き続けている。日誌から始まり、日記に移り、ガラケーでのブログ、SNS、小説、ビジネス系の各種メディアの記事やメルマガの代行、報告書、デジタルのビジネス書、イベント広報など、細かく思い出せない程には、色々と書き続けてきた。それが仕事、飯を食うための本業になるとは思いもしなかった。恐らくこれからも何かしら書き続けるのだろう。

人生、ある行動が何に繋がるかなど分からないのが常である。その意味で、自分にとっての書くという行為がこれ程までに広がったことは驚きであると共に、そういうものか、とも思う。この先、どこに繋がっていくのか取り立てて期待も願望もないが、時間さえ許せば何かしら書き続けたいと思う。そう考えると、落書き帳と銘打ったこのブログは、ある種自分にとっての書くという行為を体現したものなのかもしれない。

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