労畜の楽書き帳

労畜(https://twitter.com/rebreb01541)の雑記です。

地元住民の話と共に宮城県気仙沼の旧・赤線街「太田租界」を歩く

Twitter(X)を眺めている限りにおいては余りイメージされないかもしれないけれど、私生活においても仕事においても割と意識的に他者を褒めるようにして生活している。といってもそもそもTwitter(X)において褒めていない認識をそこまで強くは持っていないというか、Twitter(X)の仕様を考えるに褒めるみたいな発言をし難いように感じなくもない。

まさか見ず知らずの他人のツイート(投稿)に対して、見ず知らずの自分が「ブラボー」なんて急にぶら下げるわけにいかず、空中に褒め言葉を並べたところでそれが褒める発言なのか何か一人で意味不明な高揚をしているのか判別が難しいように思われる。一方で否定的な発言なんかは空中に投げたところで何故かそのままの意で通じてしまうのだから不思議なものだ。不思議というか自分としては不均衡だなあなどと思わずにいられない。

確かに筆者はネガティブな側の人間ではあるのだけど、何も世の中の一切合切に不満を持っているわけでなく、森羅万象全てに対して欺瞞や欺罔が存在していると思っているわけでない。自身の現在の仕様上、どうしたところで些細な点に不安を感じてしまうので懸念や疑念を持ってしまうケースは多いにしても、やはり何も否定したいわけでないのである。

Twitter(X)歴は全てのアカウントを辿れば彼此15年近くになるわけだけど、この点については未だに上手く整理して使えていないので、今後の課題に感じている。Twitter(X)に限らず、一対多の発信において一側の制御が自身のみに帰属するものは非常に多く、同様の課題は其れ等全てに纏わり付いているわけだから。

ここで少し話を戻して「褒める」についてである。特に仕事においての話になるが、仕事において他者を貶したり否定したりするよりも褒める方が好ましいのは、誰にとっても容易に想像がつくと思われる。筆者もそう思っており、実際問題として意識して褒める方が何かと都合良く進めやすく、それが結果的に仕事の進捗を滑らかにしている。

一方で、難しいと感じるケースがちょいちょい出てきて悩んでいる。簡単に言うと、Aを褒めることがすなわちBも褒めることに繋がらないことである。例えば上司から「Aさんについて困っていることがある……(具体的な話)」と話されたとき、「なるほど。それは大変ですね。とはいえAさんもAさんで(Aさんについて褒められる点を挙げて褒める」と返したとする。

すると、間接的に困っている上司をやんわりと否定する形になって上手くない。だが、「いやぁ、Aさんは本当に駄目ですよね」などと同調する形でAさんを否定すると、一見その場限りの同調を示した形であるが、その否定は後まで尾を引く形となり、巡り巡ってAさんに対する直接的な否定に向かい、Aさんとの関係構築の破綻を招きかねない。

Aさんに対してそこまで否定の気持ちを持っておらず、それどころかAさんの褒められる点を理解しているにもかかわらず、である。とはいえ、困っている上司をやんわりと否定するのが褒められる行為であるわけもない。とても些細で些末な困り事かもしれないが、直近、こうした場面が何度もあり、筆者としては上手い答えを見つけられずに悩み続けている。

 

さて、話は全く変わって、そこはかとない赤線と廃墟のような姿と化したとある地域の話をしようと思う。カップル達が幸福にうつつを抜かすクリスマスイブに、路肩で雪かきに勤しむ70代の心根の優しい御婆様をナンパして、ではなく御婆様に雑なヒアリングをして聞いてきた話をツラツラと伝えようと思う。刺激は強くないが、余り公言するような内容でもないかもしれないので、いつもの通り有料である。

 

ちなみに今回語る地域にかつて存在した遊郭は、今や地元スタートアップの拠点へと姿を変えようとしているらしい。中々味のある話である。取り立てて含みのある発言ではないので、その点はご留意いただきたい。

廃漁網をアップサイクルする拠点作り!元遊郭をリノベーション | 移住支援と地域情報 SMOUT(スマウト)

ちなみに本記事より詳しく調べて語っている記事は他にあるので、わざわざ金を払ってまで読む価値はないかもしれない。ライターを本業としている人間が自身の記事に対して何たる言い草かと思われる可能性を考えたが、そもそも筆者についてそこまで想いを馳せてくれる人間はそう居ないと思われるので杞憂に違いない。

宮城県気仙沼市の銘酒屋街「太田租界」(2) - しょっぱい営業がカメラを構える!

というよりも、上記の記事の筆者と異なり、筆者は一応地元の人間であるため、これ程無邪気にカメラを回せず、また取材をしようにも少々事情があったことから、やはり無邪気に行うのは憚られたため、この点については完全なる外部の人間にこそ利があると感じた。

地域に深く入っていき関係性を構築すれば、筆者の身の上でも深く掘り下げられたかもしれないが、少なくともその入り口に立ったか立たないかの現状でそれをやるのは難しい。そもそもカメラを提げて歩いていただけで、周囲の視線が痛く、結構な緊張感を強いられたのが実情である。

それはそれとして、最近は「薬屋のひとりごと」を読んでいたので、遊郭と言おうか妓楼のような話はとてもタイムリーであり、不思議な縁を感じたものである。もっともあくまで東北の辺境にある田舎の話には違いなく、「薬屋のひとりごと」で描かれる華やかさとでは天地の差が開いているわけだけど。


薬屋のひとりごと 1巻 (デジタル版ビッグガンガンコミックス)

 

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