労畜の楽書き帳

労畜(https://twitter.com/rebreb01541)の雑記です。

艦これに人生を救われた話

艦これに出会ったのは10年少し前で、艦これに時間を使うようになったのは、その半年くらい後だった。今は何処で何をしているかも分からない当時付き合いのあった知人の勧めで始めたのを覚えている。始めたは良いが、その時分は自分の状況が錯綜としていて、余り時間を割けず、文字通り手付かずになっていた。

何故その半年後くらいから時間を使えるようになったのかと言えば、体調が完全に崩壊し、仕事をやれなくなったからである。そんな経緯だから、艦これに時間を使えるようになったと言っても、体調が幾らか落ち着いた僅かな間隙を縫って触るといった感じで、一日に八時間もやるとかそういった程度の話ではない。艦これに限らず、その頃のブラウザゲームは待ちゲーというか、そういった状態の時分にやるのに適した仕様であったため、有り体に言えば丁度良い気晴らしになったのである。

一方で、その頃の自分と言えば、大分参った状態だった。何せ、取り立てて学がなければ専門性を持っているわけでなく、経歴と言えば対人業務ばかりな中で、満足に声を出せず、他者とリアルなコミュニケーションを取るのが億劫を容易く飛び越えて困難になっていたため、できる仕事がなかったのである。いやいや、そんな状態でもできる仕事はあるだろうと言いたくなるかもしれないが、少なくともクソ田舎にそういう状態でできる仕事はなかった。恐らく、この記事を書いている今尚ほとんどない。

金を稼げずとも、生活にかかるコストの支払いはある。当時は自家用車を買って間もない時期であったため、自動車ローンの支払いがあったし、微々たる金額だったとはいえ奨学金の支払いもあった。削れるものは徹底的に削ったが、それでも諸々引っくるめて一ヶ月あたり5万円程度の金が必要だった。この頃、一人暮らしをしていなかったのは幸いだった。

自分の家は、客観的に見て貧乏と言って差し支えがない。借金は多く、両親の稼ぎはとてもではないが多いと言えなかった。だから自分が仕事をしていた頃は、毎月給与の1割-2割程度を納めていた。もっとも実家で生活しているのだから、それくらいは行わなければならないと思っていたし、自分の稼ぎがもう少しあれば、もっと入れられるのにと歯噛みしていた。そうした状況が自分の体調と共に一転したのである。金を家に納める身が、家に金を納めてもらう身になった。つまり、維持費として必要だった5万円程度の金額を毎月工面してもらっていた。

艦これをやっている場合でない。読者はそう思うだろうし、自分もそう思う。当時の自分もそう思っていた。だが、心も体も動かせなかったのである。どれだけ働かなければならないと思ったところで、肝心の体を動かせない。言葉一つまともに発せられない。半日の通院だけでも満身創痍になる始末である。そんな身空で就ける仕事が、クソ田舎にあろう筈もない。

寝て、起きて、飯を食い、横になった状態でぼーっとスマホを眺めながら、少し体調が落ち着いたときにPCに向かって艦これを触る。毎月決まった時期になったら親から5万円をもらい、必要な支払いを済ませる。考えようによっては豊かな生活に思えなくないが、惨めで惨めで仕方なかった。

本来、自分が支えなければどうにかなってしまう家に食わせて貰うのだ。毎日その惨めな現実が自分の心を切り付ける。そして、いつ家計が崩壊するともしれない危険な状況を想い、不安に押し潰されていた。そんな環境で、体調が快方に向かうわけもなく、狂いそうになる程の不快感と吐き気に駆られながら、過ぎ去っていく時間に身を委ねるしかなかった。

そういった自分の状態から意識を逸らせる艦これは、ある種の支えになっていたように想う。もっとも「ゲームをやっている場合でないのに」と焦燥感が募る材料でもあったけれど。気晴らしという意味ではTwitterも大きな支えではあった。とはいえコミュニティサービスである手前、負担になることも多く、悩ましい存在でもあった。何と繋がるでもなく、一人でぼーっとやれる艦これの方が、当時はありがたかったのである。

そんな日々を一年程度過ごした。今思い出しても惨めさで心がざわつく期間である。その頃になると、体調は幾らかマシになってきていた。定量的な表現は出来ないが、PCに向かえる時間が増え、多少何かしらの活動を行えるようになった。医師から「薬を飲み、惰眠を貪って、時の経過を待つのが今することだ」などと言われ続けていたが、事実それが功を奏した。一方で依然として対面のコミュニケーションは難しく、仕事に出られる状況ではなかった。惨めな状況から脱するにはまとまった金が要る。だが、それを稼げるだけの状態にない。そうこうしている内に家計がどうにかなってしまう。歯痒さと不安でおかしくなりそうだった。

転機は、艦これをしながらある事にふと気付いた時に訪れた。艦これ(に限った話でもないが)は、遊ぶ上で弾薬や燃料、鋼材、ボーキサイトといった資源を必要とする。資源は一定ラインまで時間の経過で回復させられる他、遠征や任務の消化といったミッション達成や課金によって獲得できる。遠征に限ると大体50-500ポイントくらいの資源を獲得でき、上限まで蓄積できる。一回で資源を100ポイント獲得できる遠征があると仮定したとき、10,000ポイントの資源量を確保したいのであれば、その遠征を100回繰り返せば良い。翻って言えば、精々一回100ポイントを得られる遠征でも、100回繰り返せば10,000ポイントを得られる(※厳密に言えば、遠征を行うためにも資源が必要になるので、この通りにはならない)。

自宅療養に入ってから、体調不良の波間を漂う中で艦これをやり続けている間は、遠征は遠征でしかなく、単なるルーティンとして行っていた。しかし一年少し経ち、幾許か体調が落ち着いてきたとき、この遠征を繰り返して大量の資源を確保するという行為を改めて見て、ふと思ったのである。「今の自分はまとまった金を稼げはしないが、この遠征のように毎日10円、100円でも金稼ぎを繰り返せば、まとまった金にできるのでないか」と。

極々当たり前の話でしかないのだけど、この気付きが自分にとって非常に重要だった。何せそれまでの自分は、一ヶ月働いてXX円というまとまった金を得る発想しかなかったのである。いっそ、それ以外の稼得は稼得収益でないくらいに思っていた。しかし、そんなことはないと思えたのである。一日100円稼げれば、一ヶ月で3,000円。仮に一時間あたり100円を稼げるならば、8時間分で800円。一ヶ月で24,000円である。二ヶ月続けられれば家から貰う金を一ヶ月分減らせる。そんな考えに至った。

それくらいを稼ぐだけなら、クラウドソーシングを使えば良い。それで十分である。それ以前にクラウドソーシングサービスに登録していたアカウントを久々に起動させ、体調不良の波が凪いだときを狙い、短い時間で文字通り10円、100円を稼ぐ日々を送り始めた。一回あたりの稼働時間は短く済ませられるので、体調に合わせてでき、継続自体は難しくなかった。大金を稼ぐ必要はないと思えていたので、気楽に続けられたのも大きかった。今すぐに一ヶ月で200,000円を稼がないとならないみたいな気持ちでやっていたら、恐らく続けられなかっただろう。

そうこうしている内に、10円、100円を稼ぐために使える時間が増え、稼げる金額も日増しに増えていった。思っていた以上にクライアントに評価され、クラウドソーシング以外から仕事を請ける機会も増えた。人間というのは不思議なもので、稼げる金が増え、貯蓄も増え、幾らか生活に余裕が出てくると、体調が安定し始める(もっとも今なお寛解に至る程には回復できていない)。気付けば事業主として何ら問題なく生計を立てられるようになっており、地元で雇用されるより遥かに所得を得られるようになっていた。

事業主として自己裁量(自己責任)で生計を立てられるようになったお陰で、昔諦めた大学進学、卒業もできた。今は事業主側での所得ではなく雇用側の所得で生計を立てている(キャッシュカウが出来たお陰で事業主側で従前やれなかった動きを出来るようになった)が、極めて困難な状況から一人で生計を立てられるようにできた事実は、ある種自身の支えとなっている。すべて艦これをやっている中で得られた気付きあってのものだと言えば大袈裟になるが、さりとてあの頃の気付きがなければ今の自分は恐らくない。体調を崩した当時、時間の使い方に艦これを選んだ選択は、今にして思えば奇跡のような好手だった。

 

昨今、多くの人々に、多くの仕事の選択肢がある。過剰なまでの売り手市場は、恐らく今後も続くだろう。経済が困窮の道を歩んだとしても人口動態が人々の減少に傾き続ける以上、人が余っていく可能性は高くない。AIが人の作業を代替できるようになったところで、新たな仕事が生まれていく。人はそれに対応しなければならないし、今よりも一人の人が担う仕事量は増えていくと思われる。そんな世界にあって、買い手有利になるほど人が余る状況は考え難い。

売り手市場が続く以上、雇用の流動化は進むことはあっても戻ることはないと思われる。かつて3年くらいは会社に居続けるのが当たり前のような価値観があったが、それが今では2年くらいに短縮し、数日で辞める人間さえ正当化されるほどにまでなっている。この場でそれが間違っているとか正しいとか言うつもりはない。だが、かつて短期間でまとまった成果を得ることに妄執して身動きを取れなくなっていた身からすれば、そうした短期的な動き、短期間で大きな成果を得ようという在り方は、結果として自身の首を絞めるようになるのでなかろうか、などと心配の情を抱く。

自分は取り立てて才を持たず、出来る事もなく、健康さえ損ねた結果として、10円、100円を積み重ね続けて、ようやく幾らかまともなポジションに至れるようになった。今日という日に至るまでの日々は、決して良いものではなかったし、同じ経験をしたいとは全く思わない。それでもかけがえのない、なくてはならない大切な時間だったと思う。恐らく、健康を損ねてからの時間を過ごさなければ、今ほどに安穏とした日々を過ごせてなかっただろう。気付きを与えてくれた艦これには感謝してもしきれない。

多くの人々が生き急ぐ時代にあって、それが是とされる風潮がある。だが塵も積もれば山となるの言葉通り、僅かな成功体験を積み重ね続けた末に大きな成功を収められる人々もまたいるのでなかろうか。何者かになろうと生き急ぎ、思うように行かずに懊悩している人々は、一度立ち止まり、数年だけ我慢してみても良いように思う。我慢するのは苦しかろうし、誰だって嫌だと思うが、その先でしか見られない景色もある。もっとも自身の人格を壊すような環境までをも我慢する必要はないと思うけれども。


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